江戸時代の森との共生システムがこれからの日本を救う

木と土と竹で、土壁と伝統構法の家を建てる理由②

森と家
森と日本の伝統家屋

かつて豊臣秀吉が天下を平定し、戦国の世が終わり、荒れ果てた日本。そのため復興の喜びに沸き、多くの建物が建てられました。それが江戸の世に代わり、さらに多くの城や神社、諸大名の家々が建てられました。

そのために木々が伐採され、森が荒廃し、山々が尽き山と呼ばれる禿げ山状態に、そのために水害が度重なり、飢饉が村々を襲いました。そのとき、幕府と諸藩と民たちが力を合わせて森の再生に立ち上がったそうです。 木材が高騰し経済的に負担がある事が分かっていても、森を守る事を決意しました。争いが起こり、飢餓に耐え、諸藩は蓄えさえも放出して森の木々を守ることにしたそうです。

50年の間、一本の木さえも伐採を厳しく禁止するところから初めて、森を守るシステムを造り上げたそうです。 こうして江戸時代の人々が作り上げた森の文化が現代の森も守っているのです。それは環境にあらがうのではなく、共生し活用するシステムです。昭和から平成を迎え、その日本独自の森と共存する文化が失われかけています。その結果が夏の水害と花粉症です。それをもう一度再生し、世界に伝える、それが地球の森の再生につながると考えます。

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