あさりおん

途に倒れてだれかの名を呼び続けたことはありますか……

途に座って飼い主の名を叫び続けていることありますよ。/(◉●◉)\


昭和歌謡曲考察

〜絶望ソングにみる希望 第1回

わかれうた

詞・作曲:中島みゆき 編曲:福井崚・吉野金次 


最近、ふと気づいたことがある。

聴いてるだけで気が滅入るような暗い、絶望的な歌がすっかり姿を消してしまっていたことに……。日本中隅なく探せばどこかにそんな曲もあるのかもしれないが、チャンネルをひねれば流れてくるような表舞台からはすっかり姿を消してしまっている。

世の中が、時代が、明るくなったから暗い曲は必要なくなったのか?いや、いくら今の日本が豊かになったからといって、上り調子だった昭和と比べて、今の時代が明るいとは到底思えない。日本は先進国の中では自殺率が高いし、年収200万、300万円以下での非正規雇用から抜け出せない若者も多い。若者の貧困率は非常に高く、貧困でなくとも購買意欲は昔に比べると下降気味で、不安定な未来に備えて貯蓄が趣味という若者も少なくないという……、そんな時代だ。

『励ましソング』に人は励まされるのか?

巷にあふれている歌はそんな彼らの心情を歌う歌というよりも、彼らを励ますような歌が多い。それもひとつの自然な流れなのかもしれない。奇跡を信じよう、前を向こう、1人じゃないよ、君は特別な存在、心配ないからね、などと真正面に励ますような歌が多い。我が家ではそれを勝手に「励まし」ソングと呼んでいる。

しかしある時、わたしは「励ましソングはほんとうに人を励ましているのだろうか?」と思った。落ち込んでいる人を励ましてはいけない、というのはよく聞くことだし、励まされると余計に辛い、落ち込む、という経験は誰にもあるだろう。それと似た現象が起こるのではないだろうかと思ったのだ。

慰め励ます『絶望ソング』

それとは対照的に、昭和に大ヒットした絶望的なほどに暗い曲は、意外にも聴く人々の心を逆に癒していたのではなかろうか。「ここまで酷くはないしなぁ〜、もうちょっと頑張ってみるかな」と思わせる力が潜んでいた、と勝手に解釈している。

私が生まれたのは昭和40年代初め。物心ついた時には、アイドルが歌う流行歌から、フォークソング、ニューミュージック、大人のムード歌謡、演歌にいたるまでから様々なジャンルの歌がいつもテレビのチャンネルをにぎわしていた。そして、80年代のバブルに突入するまではコンスタントに時代を代表するような「暗い曲」がいつもあったような気がする。

あくまでも私の記憶と印象に残っただけの独断的な選曲だが、このコーナーで取り上げてみます。

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みゆきさんはアマゾンで買えなかったので、研さんで…

わかれうた

「私の歌が朝の顔でいいのか?」と本人が言ってるように、昔は、失恋の暗い歌ばかり歌っている、というイメージが強かったように思うが、彼女が書くのは歌詞というよりも文学だ、という評する人も多い程。インテリ層にも彼女のファンは多い。歌詞の内容も、「暗い」の一言ではとても片付けられないが、でも、やはり何だかんだ言っても暗い歌が多い。特に彼女が10代、20代の頃に作った曲は、実に暗くてジメジメしている。

「わかれうた」では、歌詞の冒頭、

途にたおれて誰かの名を
呼びつづけたことがありますか

と、いきなり聴く者の度肝を抜く。このインパクトある問いかけ。こんな曲、他にあるだろうか。そして何より、この現実離れした絶望感。このようなシチュエーション、大抵の人は映画の一シーンでしか見た事はないだろう。私もこの曲をはじめて聴いた時、「里中満智子の「スポットライト」で女優である主人公が演じるシーンだ。」と思ったのを思い出した。漫画の、それも劇中劇。それ位の現実離れした場面だ。しかし、みゆきは、それがあたかも彼女の実体験であるかのように歌う。この歌が大ヒットしたのはひとえにこの冒頭の問いかけではないかと思ったものだ。

そして有名なサビの部分

別れはいつもついてくる
幸せのうしろをついてくる

それが私のくせなのか
いつもめざめればひとり」

自分の幸せのうしろにはいつも別れがあって、それがくせのようについて離れない。いつもいつもわたしはひとりぼっち、めざめればひとりだ、と嘆く。

これを聴いた者は「あぁ、そうそう。ほんとにそう。わたしもよ。」と思う人もいるだろうし、「いやぁ〜、すごいなぁ〜。こんな経験はしたことないや。それに比べたら私はまだ幸せかもしれないな。」と色んなことを思うかもしれない。

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そして、2番。

恋の終わりはいつもいつも
たちさるものだけが美しい

残されてとまどうものたちは
追いかけて焦がれて泣き狂う

この気持ちをどこに持っていけばいいの、と訴えられているかのようだ。

今のご時世、追いかけて焦がれて泣き狂いなどしようものなら、ストーカー扱いされかねない。でも、失恋とは本来、そういう危なくて、格好悪い側面を持つものだ。文豪と呼ばれる作家たちの小説に登場するのもそういう人物が多い。純文学につきものの感情だ。中島みゆきの歌詞が文学だと言われるのもそういう所にあるのかもしれない。

そもそも、“人の不幸は蜜の味”、とよく言うではないか。人の不幸は人を絶望に落とすわけではなく、むしろ、人を前向きにするものなのかもしれない。不幸なのは自分だけではないよ、と優しく語りかけてくれるようだ。

逆に落ち込んでいる人を励ましてはいけないというのは、励ましの言葉には共感が生まれず、どこか突き放した感があるからではないだろうか。言葉がうわすべりして相手の心に響かないという弊害も生まれるのかもしれない。それは歌も同じなのだ。

「心配ないよ」
「明日は必ず来るから」

などと言われても、絶望の淵にいる人からすれば、

「所詮、人ごとでしょ。」としか思えない。

励ましの言葉に感動して救われた気持ちになれる人は心底素直な心の持ち主だろうし(皮肉ではありません)。こんなに素晴らしいことはないが、でも人間そんな人ばかりじゃない。それにひきかえ、みゆきの『わかれうた』は、大抵の失恋している人に希望を与えている。

だって、途に倒れて好きな人の名を絶叫した人以上に壮絶な失恋経験のある人など、そうはいないだろうから。そんなことを考えているうちに、ひょっとして今の時代に必要なのは人を励ます曲ではなく、徹底的に暗い曲なのではないかとさえ思えてきたのである。

という訳で、『わかれうた』に匹敵するかそれ以上の絶望ソングをこのコーナーで掘り出していきます。

お楽しみに……。 次回は『昭和枯れすすき』
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