町の小さな本屋が懐かしい

思い出の本屋より少し大きな近所の書店。前のお店から経営が変わったみたい。若者頑張れ!

小さくて狭い本屋さん

昔、結婚してすぐに住んだ部屋の近くに、小さな本屋さんがありました。広さは10坪ほどでしょうか。とにかく狭かった。人一人通路に立てば、もう誰も通れないような狭さで、そこはおじさんとおばさんが交代で店番をしていました。

しかし、なぜか、と言ったら失礼ですが、本の品揃えが秀逸なのです。狭いスペースで当然置ける本の数も限られてる筈なのに、漫画も料理本もはたまたIT関連の本に至るまで、置かれている本は厳選されたものが揃っていました。

この世のすべての本が並んでいるかのような大型書店で何時間もかけて選んできた本が、その小さな本屋さんにもちゃんと置いてあって、まずはここで探すのが習慣になっていきました。地域の客層を長年の経験でつかんできたのでしょうか?地域密着って、こういうことですかね?

町の本屋さん
町の本屋さん

本屋は大きさではない、ということを感じたのはそのお店がきっかけでした。大型書店はとても便利なものですが、あまりにも種類が多すぎて疲れてしまいます。小さな町の本屋さんは、置かれている本は少ないですが、信頼できる店主のお店ならば、そのチョイスにまかせられる心地よさ、というものがあり、妙に落ち着きますよね。

選択肢がありすぎるとどっと疲れる

今、都会には物があふれています。量販店 に行けば、選びきれないほどの種類の物が店にならび、買い物客を高揚させます。

先日、ニューヨーク在住の矢野顕子さんがtwitter上で「東急ハンズで玉砕。日本の人たちはすごいね。こんなにたくさんの種類の中から選べるんだもん。わたしなんか脳が硬直。」とつぶやいておられました。私達には当たり前の風景でも、外国生活が長い人たちから見れば、日本の物の多さは普通ではないのかもしれませんね。ニューヨークのような都会でも、日本よりは物は少ない、ということでしょうか。

とにかく、書店にしても、雑貨店にしても、選択肢はある一定の数を超えると、人間の思考は混乱してしまうのかもしれません。若い人は別にして、疲れがどっと出て、大型店は心穏やかに買い物ができない、と感じてしまう人も少なくないのかも。

話を元に戻します。

町の本屋が消えてしまう

何年かして、その小さな本屋のおじさんは体調を崩され、入退院を繰り返されることになりました。一時は回復されたようにも思えたのですが、しばらくして亡くなられ、そのお店も閉じられました。主人は6畳一間のアパートを借りてこの町にきて以来、20年以上のおつきあいだったので、とても寂しがり、「僕、本屋の孫なんだから、あの本屋継げないかなぁ」とまでぼやいてました。義母の実家が田舎の小さな本屋さんだったのです。

奥様からいただいた年賀状に、「本屋が地域の皆様からかわいがられ、幸せな日々でした。」と書かれていたのがせめてもの慰めになりました。今は、本屋とは全く違うお店に変わってしまいましたが、今もその前を通るたびに、その小さな本屋さんのことを思い出します。

最近はお洒落なインテリアをそろえ、図書館のように一日中ゆったり過ごせるような大型書店が登場する時代になりました。でも、それは、別の意味で私には居心地が良い場所ではありません。書店で本をみながら飲食までできるのは便利かもしれないけど、汚れてしまった本はどうなってしまうんだろう?出版社に返品して終わりなら、それはちょっとなぁ〜などと考えてしまうとゆったりできないのです。考えすぎかもしれませんが……。

やっぱり、おじさんのお店のように小さくて、心地よい本屋さんはこれからもでてこないかもしれません。そんなことを思ったら、むしょうに寂しくなりました。品揃えの妙技を考えてみると、おじさんは我が家を建ててくださってる大工さんたちと同じで、書店主という職人だったのかも知れませんね。

新しくできた町の本屋さんも

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新しく出来た本屋さん。頑張ってね!

そういえば、近所にもう一軒あった本屋さん、こちらもしばらく前に閉店。シャッターに貼り紙がされました。夜の店番のお婆ちゃんの気分によって閉店時間が夜10〜11時と幅のある面白い本屋でした。品揃えはちょっと我が家とは合ってなかったかな?でも、好きな書店の一つでした。また全く違うお店になるのか、と寂しい気持ちになったのです。

その後、また新しい書店がオープン。若いスタッフが頑張ってます。何年後かにはおじさんのような品揃えの妙味のある本屋さんになってくれるとうれしい。地域にあった品揃えで頑張ってほしいです。

皆さんにとってのお気に入りの本屋さんはどんなお店ですか?