途に倒れてだれかの名を呼び続けたことはありますか……

あぁ、懐かしき昭和絶望ソング① わかれうた —中島みゆきー 【20190324ちょっと改定】


そして、2番。

恋の終わりはいつもいつも
たちさるものだけが美しい

残されてとまどうものたちは
追いかけて焦がれて泣き狂う

この気持ちをどこに持っていけばいいの、と訴えられているかのようだ。

今のご時世、追いかけて焦がれて泣き狂いなどしようものなら、ストーカー扱いされかねない。でも、失恋とは本来、そういう危なくて、格好悪い側面を持つものだ。文豪と呼ばれる作家たちの小説に登場するのもそういう人物が多い。純文学につきものの感情だ。中島みゆきの歌詞が文学だと言われるのもそういう所にあるのかもしれない。

そもそも、“人の不幸は蜜の味”、とよく言うではないか。人の不幸は人を絶望に落とすわけではなく、むしろ、人を前向きにするものなのかもしれない。不幸なのは自分だけではないよ、と優しく語りかけてくれるようだ。

逆に落ち込んでいる人を励ましてはいけないというのは、励ましの言葉には共感が生まれず、どこか突き放した感があるからではないだろうか。言葉がうわすべりして相手の心に響かないという弊害も生まれるのかもしれない。それは歌も同じなのだ。

「心配ないよ」
「明日は必ず来るから」

などと言われても、絶望の淵にいる人からすれば、

「所詮、人ごとでしょ。」としか思えない。

励ましの言葉に感動して救われた気持ちになれる人は心底素直な心の持ち主だろうし(皮肉ではありません)。こんなに素晴らしいことはないが、でも人間そんな人ばかりじゃない。それにひきかえ、みゆきの『わかれうた』は、大抵の失恋している人に希望を与えている。

だって、途に倒れて好きな人の名を絶叫した人以上に壮絶な失恋経験のある人など、そうはいないだろうから。そんなことを考えているうちに、ひょっとして今の時代に必要なのは人を励ます曲ではなく、徹底的に暗い曲なのではないかとさえ思えてきたのである。

という訳で、『わかれうた』に匹敵するかそれ以上の絶望ソングをこのコーナーで掘り出していきます。

お楽しみに……。 次回は『昭和枯れすすき』